文章書くのマジで好きじゃありません。

It always seems impossible until it's done(それが終わるまで、いつも不可能のように思える)

文系が本当に必要かどうか考えてみた

大学でよく湧き起こる文系不要論について考えてみたいと思う。

筆者は歴史学を専攻しているもので、一部歴史学の視点から、文系の必要性を考えることもあるので、先に述べておく。

初めに述べておくこととして、筆者は文系は必要であると確信している。

それでは始めよう。

文系が不要だと考える人は多いと思う。特に将来的に役に立つことがないとか・・・

逆に、文系は必要だと考える人もいるだろう。

今回ブログを読んでいる人が、高校生、中学生といった人なら進路の手助けになったら幸いだ。

また大人、社会人で読んでいる人が文系、理系の重要性について考え、若い世代の一助になっていてくれればこれ以上嬉しいことはない。

本ブログでは、大学の歴史教育を考える会が編集する『わかる・身につく歴史学の学び方』(大月書店、2016年)を参考に「文系の必要性」について考えてみたい。

そもそも、文系とはどのような学問を指すのか。

歴史学、哲学、倫理学、法学、政治学社会学といったものがあげられよう。

では、理系とはどのような学問を指すのか。
数学、情報学、物理学、医学、化学、生物学、工学、建築学といったものがあげられるだろう。

文系不要論が持ち上がるのは、文系を専攻しているものからではない。理系の者から、きまって文系不要論が持ち上がる。

文系の不要性は、文系が世の中に与える影響が小さい、もしくは文系は生産的でない。文系は社会に影響を及ぼすものを生み出すことができない。

このような観点から文系の不要性というものは、叫ばれているのである。

世の中の役に立つことはどういったことか。*1吉見俊哉によれば二つの分類があると指摘している。

一つは、「目的遂行型」という。これはすでに目的が定められ、それを実現しようというもの。

二つ目は、「価値創造型」だという。これは、価値や目的それ自体を生み出すということ。

この通り理系、文系を当てはめるなら、理系は「目的遂行型」にあたり、文系は「価値創造型」にあたる。

ここで本を引用する。

後者(文系)は、「「価値の軸を多元的に捉える視座」をもった知」*2だという。

どういうことか、価値の軸を生み出すのは文系の仕事である。しかし、理系は価値の軸についてイチイチ考えることはしない。もしくは少ない。

価値の軸を現在の社会だけにとらわれてしまい、別の価値を生み出そうとすることは難しい。また価値そのものをあらぬ方向へ向ける可能性がある。

そういった意味で「価値」「創造性」を生み出す歴史学は大切だと本書では示している。

特に歴史学は「過去」「現在」「未来」を横断的に研究し、これらに関わる全ての価値を考えている。また新たな価値を生み出そうとしている。

このような意味で特に文系の一つである歴史学は、必要であることを示している。

筆者は、歴史学だけが特別でもないと考える。どの文系の学問も必要であると言いたい。

実際に理系だけでは補いきれない「価値」「創造」といった分野は文系が補うことができると思う。

いわば、文系と理系は、車の両輪といっても過言ではないと思う。

現代社会では、この「価値」というものを大きく見直す時期が到来している。

ものがあふれる社会で価値を見失っているものは多い。

本来のものの価値を再考すれば、ものがあふれた社会に新たな視座を設けられると思う。

*1:吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』集英社、2016年

*2:大学の歴史教育を考える会『わかる・身につく歴史学の学び方』大月書店、2016年